攻殻機動隊のとあるシーンを見るのが億劫になった、震災の3月11日以降。
- 2021/03/13
- 06:00
このブログにはあえて震災のことは書いてきませんでした。
東日本大震災から10年の節目。
いつもの通り仕事をし。
午後2時46分に合わせて、ネット中継とテレビ中継をつけて、黙祷。
10年前のこの時は、運転中。
いそいで勤め先へ戻ったのです。
勤め先には、沿岸部からの移住者が数年ほど勤めていたり。
身内親戚には被害を受けた方は特にいなかった。
とりあえずよかった…というわけでもなかった。
実は、勤め先に数度顔を出していた女性(この時点では独身)が、津波の被害で行方不明になっている。
それでというか、それまで頻繁に見ていた攻殻機動隊を見られなくなったというか。
特に、攻殻機動隊SAC25話、バトーが叫ぶシーンを見るのが今でもすごく億劫になっている。
攻殻機動隊は好きだったアニメなんですが、震災を境に見る頻度が著しく下がり、今は全く見ることがない。
そういうことも思い出しつつ過ごした、10年目の3月11日。
いつもの通り仕事をし。
午後2時46分に合わせて、ネット中継とテレビ中継をつけて、黙祷。
10年前のこの時は、運転中。
いそいで勤め先へ戻ったのです。
勤め先には、沿岸部からの移住者が数年ほど勤めていたり。
身内親戚には被害を受けた方は特にいなかった。
とりあえずよかった…というわけでもなかった。
実は、勤め先に数度顔を出していた女性(この時点では独身)が、津波の被害で行方不明になっている。
それでというか、それまで頻繁に見ていた攻殻機動隊を見られなくなったというか。
特に、攻殻機動隊SAC25話、バトーが叫ぶシーンを見るのが今でもすごく億劫になっている。
攻殻機動隊は好きだったアニメなんですが、震災を境に見る頻度が著しく下がり、今は全く見ることがない。
そういうことも思い出しつつ過ごした、10年目の3月11日。
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